会社の中にはたくさんの「目標」があり、その目標の達成に向けてみんなが働いています。
みなさんの会社にも、「会社」「部門」「個人」のそれぞれに目標があると思います。
目標設定がどうあるべきかについては、いろいろな意見があります。
どちらの考え方ももっともで、正解はないんだと思います。
すべては結果でしか評価できません。
そもそも、「人生の目標」と「仕事の目標」で、その意味合いも変わってきます。
この手の意見を参考にする場合は、
どんなキャリアで、今どういう状況にある人が、何の目標について語っているのか
という点もよく見た上で参考にすべきだと思います。
会社に不満を持っている人が「高すぎる目標はダメだ」と言っているのは、ただの愚痴にしか見えません。
これは、高すぎる目標がダメなのではなく、会社か、あるいは言ってる本人が、別の意味でダメなのかもしれません。
一方、大成功した名経営者が「目標は高くするべきだ」と言っても、それも結果論であって、目標を高くしすぎして失敗した人も世の中にはいるはず。
なかなか胸に刺さりませんね。
私は「会社の経営目標を設定する」という仕事にも関わっている現役の中間管理職です。
つまり、「会社」「部門」「個人」それぞれの目標設定をしています。
ひとつの意見として、「仕事の目標」についてどのように考えて目標設定しているのか、お話したいと思います。
心理学者でも人事コンサルタントでもありませんが、実務者の参考意見として聞いてもらえればと思います。
ちなみに「人生の目標」については、私には目標らしい目標はありません笑
Connecting the dots が私が理想とする生き方です。
私がとても大切にしている言葉。 つらい時、苦しい時に必ず思い出している言葉。 落ち込んでいる人を励ますときにいつも使う言葉。 Connecting the dots (点と点をつなぐ) についてご紹介します。 この言葉は、2005年、スタンフォード大学の卒業式でApple創業者のスティーブ・ジョブズ氏のスピーチに出てきた言葉です。
私がダイエットの目標を立てるとすれば、
「1ヶ月で5キロやせる」
という「結果の目標」ではなく、
「毎日30分歩く」
というできる範囲の「行動の目標」をセットするくらいですかね(^^)
会社の目標、つまり経営目標ですが、これには「外部に公表する目標」と「社内の目標」が存在します。
外部に公表する目標は、あまり大風呂敷を広げて未達になってしまっては、株価や評判に悪影響となるので、慎重に設定しています。
最終的な判断は経営者次第ではありますが、「ギリいけるかいけないか」くらいの数字を公表しているように思います。
「外部に公表する目標」は、”必ず”達成しなければならない目標なので、「社内の目標」はそれよりも厳しいところで設定します。
これがまたむずかしい。
どっちがいいんだ、ということになります。
うちの会社は迷うことなく高い目標を選択しています。
もちろん「タイムマシーンを1年以内に販売する」とか非常識なものではなく、常識の範囲内で達成不可能と思われる高い目標です。
例えば、「普通に考えたら来年の売上は今年と同じくらいかな」といったケースでは「来年の売上は倍にする」という目標設定にします。
(実際は、もっと複雑で熟考を重ねた上で設定していますが)
その目的は、一言で言えば、
社内の英知を結集するため
です。
達成できそうな低い目標を与えてしまうと、各部門は淡々と目の前の仕事をやるだけになります。
1+1が、よくて2になるくらいの成果しか出ません。
目の前のことを淡々とこなすだけの日々は退屈ですし、士気もあがりません。
でも、達成不可能と思われる高い目標を与えると、自分の部門だけではどうしようもないので、放っておいても部門間での協議が始まります。
厳しい現実を目の当たりにして、否が応でも助け合わなければならない状態になるのです。
さあ部門間の会議が始まりました。
あまりにも高い目標にみんな困惑して沈黙しています。
このようなときに、頭角を表す人が出てきます。志が高く優秀な人です。
高い目標を与えると、志が高く優秀な人たちが「なんとかしなければ」と動き出すのです。
誰でもできる低い目標であれば、優秀な人たちもそれなりの仕事しかやりません。
そんな日々に、彼らは内心退屈しているのです。
もっとむずかしい仕事に挑戦したいと思いながら、くすぶっている人たちです。
でも高い目標に直面すれば、喜び勇んで前に出てきます。
各部門から、自分と同じような志が高く優秀なメンバーが前に出てくる光景をみて、ワクワクします。
「自分はこういう連中と困難な仕事に立ち向かいたかったんだ」
こうなると1+1が2以上の成果になることが期待できます。
その結果として、たとえ目標達成できなかったとしても、当初は考えもしなかったすばらしい成果が出ることもありますし、実際、うちの会社はその効果を実感しています。
高い目標の設定によって生まれること。
このような状態を生み出せれば、到底不可能だと思われていた目標が結果的に達成できてしまうこともありますし、長い目で見れば会社や人材の成長にもつながります。
これも成功した会社の結果論なのか?
いえ、これは結果論ではなく、高い目標をかかげたことによる副産物のようなもので、よほどヘンクツな会社でない限り、誰でも得られる効果だと思います。
(実際の現場ではいろいろと問題もあるのですが、そこは別の記事でも紹介させてもらっています)
結果で言えば、高い目標をかかげて失敗したことも多々あります。
でも、高い志を持った社員と協力し合う風土は確実に根付いています。
業界でも有名ですし、何度もメディアの取材を受けています。
「部門の目標」は「会社の目標」を達成するために各部門で何をするべきか、といった具体的な施策がメインの内容になってきます。
部門長の責任によって設定されます。
また、「部門の目標」は「部門長個人の目標」とほぼイコールとなります。
「会社の目標」からおりてくる数値目標は、達成不可能な高い目標値となりますので、「部門の目標」も同様となります。
ここでは部門長の力量が試されます。
達成できそうな低い目標であれば、過去の目標と施策をコピペして終わりですが、そういうわけにはいきません。
私の場合は、達成不可能な目標に対して部門メンバーの動きが止まらないように、とにかく手足が動くような施策を一生懸命考えます。
「毎月の売上○万円達成!」
という「結果の目標」よりも、
「毎月の顧客訪問一人30件」
といった「行動の目標」を重視しています。
部門の目標に対して責任を負っているのは部門長なので、これで目標に届きそうにないのであれば、「行動の目標」設定が間違っていた、ということです。
部門においても、会社が高い目標を掲げるのと狙いは一緒です。
さらには、メンバーが立ち止まることなく歩き続けることができるよう、一工夫するだけです。
個人(ここでは部下)の目標設定は、業務評価に影響します。
つまり、出世やボーナス査定に響くということです。
上司がゴリ押しして高い目標を設定させても、部下のモチベーションは下がります。
部下が甘い自主目標を設定しても、会社や部門の高い目標を達成することはできません。
部下に成功体験を積ませつつも、高い目標に向けて歩みが止まらないようにしなければなりません。
私の場合は、部下には数値目標を背負わせないようにしています。
「部門の目標」で設定した「行動の目標」を必ず実行してもらうことを「個人の目標」にしています。
もちろん「行動の目標」も生易しいものではありませんので、目標を設定するときも、評価をするときも、部下とはしっかりと話し合います。
実際に評定をするときには、結果だけではなく、難易度も考慮して他のメンバーと比較しながら決めるようにしています。
とにかく、「高い目標を掲げた人が損をする」ということだけは、あってはならないと考えています。
会社や部門といった「組織」に対しては、私は高い目標を設定するべきだと思います。
目標達成できるかどうかは、やってみないとわかりません。
低い目標にしたから確実に達成できるかと言えば、そういう保証もありません。
でも高い目標を設定すれば、
これだけは得られるということを、実体験していますので、そこは言い切らせていただきます。
「個人の目標」は、やはり人それぞれに適切な目標が必要だろうと思います。
押し付けられた目標ではダメですし、自分でカンタンな目標を設定するのもダメです。
人が頑張る動機も様々です。
お金がほしいから頑張る人
仕事が楽しいから頑張る人
ルールや契約だから頑張る人
理論理屈だけで、人をやる気にさせつつ成果を出す目標設定はできません。
特に、これまで高い目標を掲げて乗り越えてきた優秀な人ほど気をつけなければなりません。
自分ができたんだから人もできるだろう
と考えるのは大きな過ちです。
やはり、部下とはしっかりと向き合い、耳を傾け話し合い、チャレンジ精神をいちばんくすぐる程度の「適切」な目標を決めるしかないと思います。
個人的には「今できることの倍」という考えを持っています。
「倍」っていうのは、そこそこ不可能っぽくて、かつキャッチーでわかりやすいからです。
「3倍」以上だとあまりにも無謀すぎるし、「1.5倍」だと、その数字の根拠も説明しづらいので。
「倍」がほどよいかなと。
目標設定に正解はありません。
そもそも、目標を設定したところで、思い通りにことが進む保証もありません。
でも、そこを悩み考えることは、ビジネスパーソン、特に管理職の重要な役割そのものです。
自分が正しいと思ったことが正解なんだと自分を信じ、「目標」という手段を活用して、組織や部下が逆方向に走り出さないように、コントロールしていくことが大切なのでしょう。